レトリーバル・過去と向き合う | 魔法石の庭3rd

レトリーバル・過去と向き合う

 さて。レトリーバル(魂の浄化)といえば。
 ちょっと前に、今の私の状態が何に作用されて病気になったのか、と思って自己レトリーバルをしてみました。
 軽くのつもりでしたが、とにかくまだ若い、学生時代の私が制服を見つめながら泣いているイメージが飛び込んできます。

「学校に行きたくない。誰とも会いたくない。お父さんもお母さんもおばあちゃんも、なんでわかってくれないの?学校に行かない子は要らないの?私、頑張ったのに!いくら仲間はずれにされても、聞こえるように悪口を言われても頑張ったのに!でも、もう頑張れないよ。私なんか死んじゃった方が良いんだ。頑張れない子は死んじゃった方が良いんだ」

 私は、もらい泣きしながら、その過去の私を抱きしめます。
「違う。あなたはあと14年で、運命の人と出会う。そして、色々楽しい体験もするの。今死んじゃだめだよ」

 そう言いながら、私は、「あ、孤独が原因なんだ……」と思いました。
 学校で孤立して、家でも受け入れてもらえなくて。その孤独がずるずると今まで引きずってきたものなんだと。

 当時、ネット環境も携帯電話も普及しておらず、私はひたすらその孤独の中にいることしかできませんでした。
 そして、学生であることを辞め、親から高校認定試験を受ける塾に行かされましたが、私は授業をさぼって本屋で本をむさぼるように読みました。経済書からライトノベルまで、あらゆる本を読み、ひたすらその「孤独」に打ち勝つ方法を探していました。

 試験は受かったものの、大学には行かず、またひたすら本を読む日々が始まります。
 その頃から私の周りで、徐々にネット環境が整い、ついに親から「時間制限付き」でネットをすることを許されました。
 そうして入ったネットの世界で、私は、私のような経験をしている人が案外多いことに驚きます。ここには……ネットの中には仲間がいる。そう思ったのです。

 そして、唯一の親友だった人からの裏切りに遭い、私の心はぽっきり折れてしまいました。
 衝動的に車の前に飛び出したのですが、車は止まってしまい、私の最初の自殺は失敗しました。
 そうして、その足で私は、「もう自分ではどうにもできない」と思い、保険証を片手に心療内科の門を叩き……そこからまた長い戦いが始まったのです。

 当時の先生には、「もっと早く来ればよかったね」といわれ、私は曖昧に笑ったのですが、その通りだったな、と思います。
 もし、学生の頃に心療内科に行っていたら、早くに立ち直れたかもしれません。
 しかし、両親は本気で「カッコーの巣の上」の世界が精神科の世界だと思っており、最新の精神医療にはとことん疎い人たちで、一度精神科に行きたいと話したら、「そんなところに行ったら本当に精神病にされるよ!」と言われ、その言葉の裏には「あんたは怠けているだけなんだからできるはず。頑張れば何でもできるはず」という、一見私を信頼しているように見えて、実は本質を何もわかっていない言葉がありました。

「頑張れない。もう頑張れないよ!」と学生の私、そして精神科に行く前の私は叫びます。
 私は、泣く過去の私を抱きしめるしかありません。「うん、頑張らなくて良いよ。もう、『良い子』じゃなくていいんだよ」と、ありったけの言葉をなんとか絞り出して、私が傷つかない言葉を選びます。

 私は、今まで『良い子』であることで、貯金をしているつもりでした。そうして、ありったけの貯金をはたいて「もう良い子じゃなくて良いよね?」と問いかけた際に、肉親から「話し合い」という名のつるし上げを食らって、私は、「この人たちは、『良い子』の私じゃなくちゃ駄目なんだ。ずっと良い子じゃないとだめなんだ」と思ってしまいました。

「もう頑張れない」と、私は示していたつもりでも、肉親はそれに対してずっと「ノー」の体勢でした。
 そんな折、風向きが変わったのは、精神科の先生から「お母さんも連れてくるように」と言われ、目の前で先生から「お母さんにとっては怠けているように見えるかもしれませんが、娘さんは娘さんなりに戦っているんです。理解してあげてください」と直接言われたことでした。
 それから、母は私の診察日に休みを取るようになり、車で病院まで送っていってくれるようになりました。お金も、「はい、診察代」と言って、1万円ほどを援助してくれるように。
 
 また、私は今の職場を見つけ、そこに通うようになりました。働いている人は障害者で、皆さんとても明るいのですが、時々「あの人は入院しちゃったよ」と言われることもあり、「やっぱり病気なんだなあ」と思わされます。

 今は、その職場に通いながら、少しずつ「社会で生きていくためには」を学んでいます。しかし、もうすぐ自立したいという気持ちも出始めて、職場の人に相談している状態です。

 私が感じたのは、『良い子は貯金できない』ということでした。
 悪い人が更正したら美談になるのに……とも思わなくもないですが。また、「頑張れない」と言った時に、誰か助けてくれる人がいたら……ちゃんと思いを打ち明けられる人がいたら……と思いました。

 それが、今の私なのかなあと。「今」の私が過去に飛んで、「もう頑張らなくて良いよ」と言ってあげることが、私のレトリーバルなのかなと思います。人間、最後に信じられるのは自分しかないってことですかね。
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