シャネルの特番を観て | 魔法石の庭3rd

シャネルの特番を観て

 夜、ココ・シャネルのドキュメンタリー番組を観ました。

 シャネルは、孤児院という貧しい生まれでありながら、持ち前の美貌で次々と有力者の愛人になり、成功を収めていったという女性でもあります。
 こう書くと、「まあ、女性の敵ね!」的なことを思う人もいるかと想像できますが、シャネルは服や香水・バッグなどのファッション関係から「女性を男性の持ち物としての悪しき風習から解き放つ」という強い信念を持っていました。

 シャネルは、貴婦人たちが皆、大きな帽子をかぶり、コルセットでぎゅーぎゅーに固めた服を着ていることに強い反発心を抱きます。そして、自ら「もっと女性の体を解放する、機能的でかつデザイン性のある服を!」ということで、まずは帽子を孤児院時代に培った手縫いで仕上げ、社交界の場でそれを身につけて行きました。
 すると、その機能的でシンプルな帽子が評判となり、「私にも作って欲しいわ」という貴婦人たちが多くなったので、愛人である将校の援助を受けて帽子店を開店。将校は、「ただの愛人の暇つぶし」と考えていたようですが、シャネルは本気でファッション界を変えるという信念を持ち、帽子店は大盛況になります。
 
 しかし、そうなると面白くないのが出資者の将校。その頃は、未だに「女性は男性の持ち物である」という差別的背景があり、「愛人に商売をさせて、それが流行るなど言語道断」とシャネルとぶつかり合い、結局シャネルは「将校を取るか、それとも帽子店を取るか」という選択を迫られましたが、彼女は帽子店を取ります。

 それから、香水の調香にも手を出し、あの世界的ヒットとなった「シャネルの5番」を作り出します。
「香水を付けていない女は、女ではない」とまで言い切り、これまた香水も飛ぶように売れました。
 
 ちなみに、有名なマリリン・モンローの言葉で、「私のナイトウエアはシャネルの5番」というのがあります。それほど、シャネルの5番は人気だったのです。

 そうして、ついにシャネルは洋裁に手を出し、モデルがうんざりするほど仮縫いを重ねて、「機能的で、それでいてファッショナブルな、女性が着ていて安らげるような服を」と、次々とこれまでの派手なドレスやコルセットで固められた服とは違った、今のキャリアウーマンが着ているスーツに近い服を作り上げます。
 シャネルはそれを自分で着て歩き、自らが広告塔となりました。
 シャネルは、「最初は、私の着ている服を見て皆があざ笑ったけれど、それは私の服が流行に媚びていない証だ」と名言を残しており、そのうち、シャネルのシンプルで機能的、それでいて女性のチャーミングさもある服を、皆が欲しがるようになります。

 こうしてシャネルは大成功を収めるのですが、第二次世界大戦中、ナチスの将校と付き合っていたことがきっかけで、バッシングを受けます。
 シャネルは、身の危険を感じ、フランスから撤退。香水部門と残りの細々とした部門だけを残して、ファッション界から姿を消しました。

 時が経ち、15年。すっかり隠居していたと思われたシャネルですが、彼女はとある美容雑誌を見ていて、激しい怒りを感じます。
 それは、新作のディオールの服で、まさにシャネルが戦った「女性を縛り上げ、不自由にする服」だったのです。
 当時、70歳となっていたシャネルですが、その怒りが原動力となり、再び服飾界へと復帰。すぐさまファッションショーを開きます。
 ヨーロッパでは、「時代遅れ」とか「田舎のファッションショー」と痛烈な批判を受けたシャネルの服でしたが、当時女性の社会進出がめざましかったアメリカでは、「機能的で働く女性のために作られた服」として、熱狂的に迎えられます。

 シャネルは、「私の服は流行を追わない。なぜなら、その服に信念があるのなら、服自体がファッションの流行を作り出すからだ」と言っています。

 そうして、シャネルは87歳の折に、ファッションショーの準備をしている際に死亡。最後まで、「女性を解放するファッション」を追い続け、仕事に全てを捧げた人生でした。
 シャネルは言い残しました。「私は日曜日が一番嫌い。だって、仕事ができないんだもの」。
 
 ちなみに、彼女は様々な有力者や芸術家と浮き名を流しましたが、生涯未婚でした。
 それは、もしかしたら、彼女を縛り付けていた「男性」というものを心の中で嫌悪していたからなのかもしれません。
 シャネルは、生涯を「女性の解放」という大きな使命感を持って仕事に取り組んでいた女性でした。

 今でも、「シャネラー」という、シャネルに酷く心惹かれ、ハイヒールモモコや泉ピン子のように、靴はシャネル・スーツもシャネル・バッグもシャネル・宝飾品ももちろんシャネル!という芸能人・セレブもいます。
 あの、ブランド依存症で有名なエッセイストの中村うさぎさんは、「エルメス熱が去って、『よっしゃ!今年こそはブランド品から抜け出せるかもしれない!』と思っていたところ、シャネルのパーティ(と言う名の即売会)の招待状が来て、『ダメだ。シャネルには勝てねーや』」と書いています。

 シャネルの服が今でも愛されているのは、「女性の立場の向上を!」という旗を掲げて、世間と戦ってきたシャネルに、知らないうちに共感を寄せているからなのかもしれないですね。
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