母方のおじいちゃんの思い出 | 魔法石の庭3rd

母方のおじいちゃんの思い出

 そういえば、うちの母方の祖父母ですが。
 祖父は、それはそれは厳格な、職人堅気な人で、徹底的なリアリスト。
 祖母は、霊感の鋭い、「神様はどこにでもいらっしゃるのだから、いつでもおいでなさい」と、周りの人に分け隔てなく優しく接する人だったらしいです。というのも、私が産まれた頃には、既に亡くなっていたのですが。

 祖父が家にいる時は、祖母を頼ってきた人たちを追い返すこともあったそうで。
 それも、全員を全員追い返すわけではなく、祖母の気の良さを利用してやろう、とか宗教の勧誘でうちの宗教に入って貰おう、という人たちにのみ、「出て行け!うちの敷居を二度とまたぐな!」と激怒していたそうです。

 それでも優しい祖母は、「お父ちゃんはこういうのが理解できないから。今度はお父ちゃんのいないときに来てね」とアフターフォローもしていて、それで改心した人もいたそうで。それからはまるで祖母を生き神様のように拝んでいたそうです。

 元々、祖父母はバツイチ同士で、祖父はその職人特有の頑固さ(船大工だった)で、前の妻がついて行けずに離婚。祖母は、これも酷い話なんですけど、1年間一緒に暮らしていて、子供を産むことができなかったので、「石女はこの家には要らない」と離婚を突きつけられたそうです。
 ただ、祖父と結婚してからは、3人も女の子を産んだので、祖母には生殖能力に問題はなかったようです。逆に、祖母を追い出した元夫やその実家は、悔しい思いをしたでしょうね。

 ちなみに、女性が「最高の苦しみ」と言われている分娩を乗り切れる理由を知っていますか?
 それは、「女性は痛みを忘れるようにできている」ということです。だから、DVを受けていても、その後のハネムーン期で優しくされると、痛みのことを忘れて「こんなに優しい人が理由もなく暴力を振るう訳はない」と思い込んで、どつぼにはまってしまうのですね。

 だから、2度目以降の出産の時は、「痛い痛い!そうだった!ものすごく痛いんだった!」と思い出すそうで。
 
 それと、つわりの時が酷ければ酷いほど、自分とは違う性格の子供が生まれるそうです。
 それを母に言ったら、「そうね。かみなを出産した時はつわり酷くて、弟を出産した時はそうでもなかったわ」と。
 確かに、私は気が利かなくて、人の上に立って命令するのが苦手で、母とはまったく違うと思います。ただ、母は不思議ちゃんなので、会話がかみ合わないこともしばしば……。仕事はできる人なんですけどね。

 父と母がまだ結婚を意識していない頃、祖母が父を一目見て、「あの人の人相、すごく良いわ。大将ぼくろ(額の真ん中にある、仏様みたいなほくろ)がある。ちゃんと捕まえておきなさい」と発言したことで、母も「そうなるのかなあ」とおぼろげに思って、なんだか両家で盛り上がってしまい、結局本人たちは「別に結婚してもいいかなー」という程度の愛情で結婚したとか。

 しかし、祖父はリアリスト。そんなスピリチュアル的な考えで愛娘が結婚するのが許せなくて、結婚式当日から3日間寝込んだとか。母にはすごく優しい人だったらしいです。
 父は、戦争時代に祖父が「戦艦大和」を作るのに携わっていたこともあり、大和ファンの父はなんとかコミュニケーションを取ろうとしたのですが、祖父は全面的に父を無視。代わりに祖母が「ごめんなさいねー、うちのお父ちゃんが」とフォローしていたそうです。

 一応、祖父も孫(私ですね)が産まれてからはぽつりぽつりと父とも話すようになり、一応和解したとか。
 なんか、その話を聞いて、「おじいちゃん、可愛い人だな」と思ってしまいました。なんか、駄々をこねる子供みたいで。
 今、祖父は90歳。認知症もあるので、東京の施設で面倒を見てもらっています。
 多分、わがまま言い放題だと思うのですが、まあ、そういう人ですから。

 最後に、ちょっとした小話。
 母の2番目の妹の旦那さんが結婚の挨拶に来る……と言うときに、その旦那さんが大遅刻。祖父はむっつりと黙っていたのですが、ぽつりと「○○くん(父)は関東からちゃんと時間通りに挨拶に来たのになあ」と言って、母は「あ、もうすぐ心を開いてくれるかな?」と思ったそうです。

 うちの祖父母事情でした。私も、祖父は物心ついてから泊まりに行ったりしていたのですが、なんとなく口べたで、孫とどういう風に接して良いかわからない、というとまどいが分かったので、大人しくしていました。でも、私や弟にスクランブルエッグを作ってくれたりして、「これが、おじいちゃんの精一杯の孫との接し方なのかなあ」と思っていました。
 自分語りでえらいすんませんなあ!(中川家)まあ、そういう家系で育ちましたよ、ということで。
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