憑依ブロガー | 魔法石の庭3rd

憑依ブロガー

「植物ブログだと思って開いたら、酒ブログだった」という不満をお持ちの方は、えらいすいませんなあ!

 さて、私のブログの書き方っていうのは、ほとんどが「その場で思いついたこと」とかで構成されているので、後で自分で読むと「これ、なかなか面白く書けてるじゃん」とか「うっわ、イタイ子じゃんよーこの記事読むの嫌だな-」と思うことがあります。

 私はこれを、「自動筆記」と定義しているのですが、とある粘着さん(もうブロック済みなので読めないであろう)もどっかで「自動筆記が止まらない」とか書いていて、この単語にまで嫌気がさしていたので、今まで書かなかったのですよ。
 というか、その粘着さんととあるメールをやりとりしていた人に「実はブログは自動筆記で書いているので、中身は本人も忘れてること多いです」と書いた直後に粘着さんも「自動筆記」という単語を使い出して、同一人物かなー?まさかなー?文体も違うし……と思ってはいます。

 で、いかに「自動筆記」という単語を使わずに、この状態を説明しようかと思えば、いわゆる「憑依記録」と私は呼びたいです。
 芸人さんとか役者さんでも、台本を読まないで、いざカメラが回ると全然キャラが違っていても完璧に演じきる人がいるっていうじゃないですか(ウッチャンとか)。そういう人のことを「憑依芸人」と呼ぶので、私の場合は「憑依筆記」だと思っています。

 プロの作家さんだと、ゲラといって、一旦書いた作品を紙に刷って、赤ペンで直したり説明が必要なところを指示したりするものが送られてくるそうです。
 そうして、その担当者と胸ぐらつかみ合って「これはこの表記で良いんだよ」「んなわけねーだろ、早く直せ」と夕方の河原で殴り合いの結果、二人で草むらに寝転んで、「やるな、お前」「そっちこそ」で友情が生まれるわけですよ!男の子の世界だね!

 相手が女作家の場合、胸ぐらはつかめないので、スタンドを出して殴り合います。でも、女作家はほとんどがどろどろしているので、後で「あの担当がさー」と文句を広めたりします。怖いですね。
 近頃は男性作家でもそういう人多いっていいますけど。

 そういえば、昨日の金スマで、カトリックの渡辺和子さんのことをやっていました。
 私はというと、胸に十字架を飾り、服の下には特大のメダイを付けていますが、特にキリスト教徒ではありません。
 でも、聖書の言葉とかよりも、それに殉ずる人たちの言葉はすごく心に染みるので、twitterでも「マザーテレサbot」なんかをフォローしています。
 はっきり言って、形骸化されたイエスとかマリアとかは「ホントかいな」と思うのですが、それに対して献身的に尽くすシスターたちの姿は美しいと思いますし、何よりも、今、生きて居る人です。それなら、十字架とかマリアのメダイなんかの本当の意味を知っておいた方が良いな、と思って知識を得ています。
 
 でも、うちの母なんかは、介護施設で何年かプロテスタントの教会に併設された老人ホームで看護師をしており、その際にはキリストの教えや、純粋なキリスト教徒の人と接したりしていましたが、未だに「自分は無宗教だ」と言い張ります。まあ、日本人の言う無宗教とは、そもそもがアミニズムを根底にしたごちゃ混ぜの宗教なのですが、一般人の立ち位置としては無宗教って言ってても日本では平気ですけどね(外国では、無宗教は、変人や教養のない人・礼儀作法がしっかりしていない人という偏見があるそうです)。

 さて、憑依書記に話は戻りますが、今まで書いている文章も、その場で思いついた文章です。
 たまに、「これはちゃんと書かんとな」という記事は、別窓で開いて読みながら書いたりもしますけど、それも半日くらいで忘れます。
 キリスト教風に言うと、「これは、あなたの手を介して神様がお書きになっているお言葉なのですよ」というところでしょうか。
 なので、私は私自身の読者の第一号なわけです。それが良いか悪いかは別ですけどね。
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