本に注釈は入れるべきか? | 魔法石の庭3rd

本に注釈は入れるべきか?

 31歳の方のガン漂流シリーズ、届きました。
 うん、やっぱりこっちの方が、まだ「尖ってる箇所」があって面白い。奥山氏のブログと同じ匂いがします。
 でも、多分編集に言われたのだとは思いますが、「そんなことにまで注釈必要か~?」ってぐらい注釈はガンガン入ってます。「文章内で説明してるじゃん」と私は思ったのですが、もしかしたら、普段本を読まない人にとっては必要なのかもしれません。
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 そういえば、「ゲッツ板谷」が西原理恵子の漫画で寄稿していた文章で、「俺のファンは、ファンだって言っておきながら本を読まねえ」ってぼやいていましたが、そんなに皆、本を読まなくなっているんでしょうか?謎です。

 しかしなー、注釈問題は、ちょっと考えてしまいます。
 普通の本だったら、そんなに注釈なんて要らんだろと思うのですが。気になる単語が出てきたら、自分で調べるのが本読み人ってやつなんじゃないですかね?と。
 実際、色んなエッセイを読んできて、自分の知らない作品名とか出てくると「おっ。調べたろ」と思いますし。
 単語とか作品名とかは、そこから「こっちも面白そうじゃん」とその作家さんの好きな作品を調べてみる。それから、新しい世界が始まる気がするんですけどねえ。

 んー。でも、奥山氏のガン漂流というエッセイは、元から本を読む機会がなかった人たちにもウケたわけで。
 だから、ある程度活字の間を空けたり、注釈入れるくらいの配慮は必要だったのかなあとも思ったりします。私には、「本を読まない人」という気持ちがいまいちわからないのですけど。
 だからといって、本を崇拝しているわけでもなくて、散らかった部屋に本が置いてあっても、平気で踏んだりしますしね。そんなもんですよ。お坊さんの数珠と同じで、「物はただの物。それを使うのは人間次第」だと思っているところがありますし。

 私にとって「本・新聞・テレビ・ネット」などの情報媒体は、「それをどう扱うか」で決まると思っています。
 その情報が危険で、取扱注意の原発みたいなのでも、電気を作るというエネルギーに変換していたわけですし?ノーベルのダイナマイトみたいな理論です。「ノーベルは、ダイナマイトを危険な採掘工事のために作った。しかし、人間はそれを利用して戦争に使うようになった」という。
 また、アインシュタインも、日本に2発の原爆が落とされたことにずっと負い目を感じていて、当時賞を取った日本人学者(誰だったかは覚えてません)の部屋にわざわざ訪ねていき、「原爆を作ってしまったのは私の責任です。本当に日本には申し訳ないことをしました」と涙を流して謝ったと言います。

 でも、日本人からすると、「え?」という感じですよね。「原爆は戦争だったからしょうがないでしょう。それより、今度はいかに原爆を戦争で使わなくて済むような世界にしたいかです」と、日本人だったらそう考えるかと。
 まあ、エノラ・ゲイみたいに「原爆は正しかった」と言われても、「この野郎!」ってなりますけどね。
 
 話は戻りますが、私は「注釈はロックじゃない」と感じました。
 たとえば、大好きなバンドがいて、その一人が「ジミー・ヘンドリクスに憧れてギターを持った」とか言った場合、すっごいファンなら、「ジミー・ヘンドリクスってどんな人だろう?メンバーがそう言うのなら、きっとすごいロッカーに違いない」って思って聴いてみると思うんですよねえ。
 そこで、注釈が付いてしまうと、「へー。こういう人なんだ」で終わってしまいます。なんというか、読者の「考える力・知ろうとする力」を奪っている気がするんですよね。

 別に、ハウツーを否定している訳ではありませんよ?
 実際、私も、ゲームだったら攻略本とか、漫画の設定資料集とかも好きですし。
 ただ、それはそれで、独立したコンテンツであってほしいのです。
 読まない人は読まない。読む人は読む。そういった自由が欲しいと。

 まあ、その注釈を入れていない32歳の方は、今度は文章にロックっぽさがなくなっていたりで、色々難しいですね。
 
 最近、植物関連の記事がなくて、えらいすいませんなあ!(中川家)
 って、この()も注釈?だったら私も使ってますけどねw
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