超科学と文化の融合 | 魔法石の庭3rd

超科学と文化の融合

 ずーっと多肉の話してて、「あれ?ここって園芸ブログだったっけ?」と読者様を混乱に陥れそうなので、スピリット界の話をします。

 茨は、相変わらずエレ君につきっきり。でも、おねショタとかそういうわけではなく、元々茨の世話焼きな部分と、エレ君の守ってあげたいような危うい部分が一致しているだけのようですけどね。
 で、スピリット界に降りると真理矢が、さりげなく手をつないできて、「まるで、初期の頃に戻ったようですね」と微笑んできます。「あー、そうだね。真理矢との付き合いも結構してるね」と言うと、「僕は、ずっと姉様のことが好きだったんですよ」と機嫌が良さそうです。

 真理矢も、別に元からビアンというわけではなく、ただ好きになったのが私だった、という話だそうです。
 確か、同性愛の人って、同性しか好きになれない人はゲイやビアンですが、好きになった人が同性だったというのは同性愛には含まれないそうですよ。

 まあ、だから百合って表記してますけどね。
 で、館内をぶらぶら歩いて、久しぶりに女教皇の所に行かないとうっかり死んでるかもしれないと思って、女教皇の部屋をノックしました。
「空いてるわよ」と言われて中に入ると、何故か東側一面が薔薇の花。「え!?なにこれ?」と思っていると、女教皇は「昨日届いたのよ。園芸を始めようと思って」といつもの冷静な彼女です。

「園芸って、でもいきなり薔薇をこんなに育てるつもり?」と言うと、「あら。文句があるのかしら?」と返され、私は「ぐぬぬ、現実の私が多肉沼に入ってるから何も言い返せない……」と言葉に詰まります。

 そこに、サーシャがお茶を運んできて、部屋の中を一目見るなり「わあ!」と顔を輝かせます。
「何これ?女教皇、これ育てるの?」とサーシャが嬉しそうに言うと、女教皇も顔を和らげて「ええ」と返事をします。「すごいすごい!薔薇の花畑みたい!」とサーシャが嬉しそうなので、「サーシャ、薔薇好きなんだ?」と言うと、「ええ。大好きよ」と咲いている薔薇の一輪に手を掛けて、顔を近づけて香りをかいでいます。
「気をつけて。とげがあるから、手を切ってしまうわ」と女教皇が言うと、「そんなへまはしないわ」とサーシャが笑います。

「どうせなら、うちの敷地内は勝手に使ってくれていいから、玄関辺りで管理すれば良いのに」というと、「本当に?それも良いわね」と女教皇が珍しく顔を輝かせます。
 引きこもりの女教皇が、こんなに表情を変えるのは久しぶりだなあ、と私は植物のパワーを感じていました。

「それにしても、こっちの世界でも通販って機能してるんだね。インターネットも繋がってるみたいだし、この分じゃ携帯電話も使えるんじゃないの?」と言うと、「その通りよ。あなたの元の世界にあるものは、こっちでも使われているのよ。何せ、ネットワークの構造自体は、インターネットが開発される前からプログラマーたちの頭の中で実現は可能だったの。まあ、それもLSDなんかの薬で神秘体験を経験してのことだったんだけど……当時、macやwindows以外のプログラマーは皆薬中だったっていうしね」と女教皇は説明してくれます。

「ははあ、想像で実現できるものは、現実で実現する前からこのスピリット界にあると……」と言うと、女教皇はうなずいて「そうよ。だから、あなたたちが使っているものがこっちで発達しているわけじゃなくて、あなたたちが使う前からこっちでは既にその構想はあったということ。今も、超科学の世界ではあらゆる技術が可能よ。たとえば、人間の頬の粘膜をちょっと採取しただけで、そこから人工臓器を作ったりね。私たちの世界は、アナログではないの」と説明されます。

「なるほど」と私は言って、紅茶に手を付けました。
「ここはまるで夢の国ですね」と言うと、女教皇は「あら。だからといって科学ばかりでもないわ。うちの町にだって、どこかレトロな感じはするでしょ?彼らは、好んでそのレトロさを保っているのよ。科学と伝統の融合。それこそがスピリット界と言って良いわね」と彼女も金の縁取りがされたティーカップを傾けます。

「ん?ということは、スピリット界の動向を見ていれば、次に流行る技術の予測が可能ということ?」と聞くと、「そうとも言えるわね。たとえば、現実世界での『成功者』は時々『神が降りてきた』とか言って、技術を広めたりするでしょう?それは、彼らが自然とスピリット界とアクセスしているからなのよ。まあ、それがその人が生きている間に成功するかどうかははっきり言って運の要素もあるのだけど」と、女教皇が言います。

「なるほど。画家のゴッホなんかは、死んだ後にその絵が評価されたんですけどね。カフカなんかも、ある日妹がたき火をしていたら『これも燃やしてくれ』と言って原稿用紙を突きだして燃やすように言ったらしいし、カフカはさらに友人に『私が死んだら著作は燃やしてくれ』と預けていたらしいしね。まあ、その友人が『こんな大作を燃やすなんてとんでもない』と、カフカの死後に原稿を持ち込んだことで今のカフカの文豪としての地位があるっていうし。でも、死んだ後に評価されてもあんまり意味ないよねえ」と、私は非常に俗っぽい発言をします。

「カフカも紫式部も、実は墓場で泣いてるって話もあるわ。『オオー、私の書いた萌え小説が勝手に世の中に広まって、オオー』って」と、女教皇も言います。
「そういえば、外国に行った日本人が、『紫式部さんは新作書いてないの?』って言われたっていう話もあるね。それほど、今でも十分通用する話なんだろうけど。また、外国人は『日本人はシェイクスピアが口語で読めていいな』と言ってるって話もあるねえ。あっちでは、難しい文体なんだって」と私は言います。

「まあ、日本人でもそうなんじゃないかしら。でも、最近では『漫画で読む名作』なんてのもあるし、日本人は常に古いものを新しく仕立て直す技術があったのよ。京都駅前なんて、もうビル街だし、皇居の周りだってビル街よ。なのに、京都の寺社や皇居に行く人は、『急に周りが静かになって、こういう所が聖地たるところなんだろうな』って感想を持つらしいわ。古い文化と新しい文明の融合。それが日本人の持つ魂なのかもしれないわね」
 女教皇はそう言って、一口で紅茶を飲み干すと、席を立ち、「薔薇を1~2鉢残して玄関に移動させるわ。サーシャ、手伝ってちょうだい」と言って薔薇の大移動を始めました。

 ということで、今の嵐が丘には、玄関に薔薇があります。
 お立ち寄りの際には、とげに注意して香りをお楽しみくださいね。
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