念願の時計塔、完成!と、昔したストレンジフルーツ未遂体験 | 魔法石の庭3rd

念願の時計塔、完成!と、昔したストレンジフルーツ未遂体験

 皆さんは、「サクラソウ」という花をご存じでしょうか?
「当然だよ」という人もいれば、「何それ?」と言う人もいるでしょう。たとえば、東北生まれの母は、関東に来たときに初めて「シラサギ」という白い大きな鳥を見て、「なんて綺麗な鳥だろう。珍しいのかしら?」と思っていたそうです。しかし、関東では、日常的に見られる鳥だということを知って、「なーんだ」と思ったそうで。

 さて、サクラソウですが、まさに今の季節に咲く、小さくて桜より濃いピンクの花がぽちぽちといくつも咲きます。それが、私の家では、絨毯のように庭に咲いていて、今年の桜は引きこもっていて見逃してしまったけど、サクラソウは見れたなあ、と思いました。
 ちなみにこの花、繁殖力も高いです。油断していると、種を何十も作るので、すぐに過密になってしまいます。
 うちの庭にはミントやハーブ類、そしてベリー類もあるのですが、すべて、祖母の管理下に置かれて、ちゃんと繁殖しすぎないように手入れされています。祖母は植物を育てるのが上手で、「緑の手」を持つ人です。

「緑の手」というのは、植物に活力を与える人で、逆に植物を枯らすのは「赤い手」と呼ばれるそうです。
 祖母の孫の私はその「赤い手」の持ち主で、サボテンでも多肉植物でも、何でも枯らします。これじゃあ農家継げませんね。

 さて。
 昨日、また茜さんがやってきました。

 普通に廊下を歩いていたので、「あの、ちょっと!」と捕まえます。
「なんだい?……ああ、茨。迎えに来てくれたのか」と言うので、「そうじゃなくて。一応、無害だとはわかっていますけど、館に入るときは誰かに声をかけてくださいよ」と言うと、「じゃあ、門に鍵を付けた方が良いね。ぐるっと堀で囲むって手もあるけど」と、悪びれがありません。

「……茜。ここはあんたたちの村じゃないんだから、勝手に入ってくるのは止めろよ」と、茨も注意してくれます。
「……お館のしきたりってのは難しいね。はいはい、それがここのやり方なら、今度からちゃんとしますよ」と、茜さんが降参、というように両手を挙げてみせます。
「さて。あたしと茨はこれから飲んでくるけど、あんたたちは?」と茜さんがまたもや勝手に仕切り始めるので、鬼ってこんな性格なの?と思いつつ、「鬼であるあなたたちに付き合えるほど酒飲みではないので」と断ります。真理矢は、「僕は姉様に付き従う者ですので」と返答します。

「あ、そ。まあいいや。飲めないやつに無理して飲ませる趣味はないよ。茨、麓のバーってこの時間開いてるかい?開いてなくても飲むつもりだけどね」と言うので、「はあ……あんた、まだ夕方の5時だよ?今から飲むってのかい。まあ、赤毛か姫に頼んで開けて貰うかね。真理矢、かみなを頼んだよ」と、茨は茜さんに連れられて行ってしまいます。

「……姉様、今日は何をなさるつもりで?」と真理矢が聞いてくるので、「うん。今日は、時計塔を仕上げたいんだ。ずーっとこの『嵐が丘』はクロックタワー1の館を参考にして建ててるからね。やっぱり時計塔がないとね」と言います。
 そして、色々試してみた結果、中心の尖塔に時計塔を建てることにしました。

 そうして、私は久しぶりの創造で、時計塔を内部から仕上げました。
 ちゃんと、内部でねじを巻けるようにして。時計塔から首を出したら、そのままチョンパ、なんて事件が起こらないように、首を出す穴は開けません。
 ……しかし、うちの館、2階部分は全然手を付けてないんですけど。共同浴場とサーシャとスーパーマンの部屋があるぐらい?あとは、がらんどうです。

 まあ、一階にガイドたちや精霊たちの部屋を作ってるので、あんまり2階まで作ってる余裕がないのですけど。
 後々考えよう……。

 外に出て、眺めてみると、なんか、クロックタワーっていうより、学校っぽいような……。まあいいか。
 時計を合わせて、ねじを巻くと、早速時計塔が動き出します。
 歯車ががこがこと音を立てて、時計塔が機能していることを教えてくれます。

「ふー……なんか、やったことはやり尽くした感じ……」というと、真理矢は「しかし、完成してからが勝負ですよ」と言ってきます。
 そう、人生に「完結」という文字はないのです。人間は、少なくとも私のように悟りを開かない道を選んだ人間は、いつまで経ってもこの世でぐるぐる転生を繰り返すのでしょう。
 
 そりゃあ、昔は私も、「もう嫌だ!全部終わらせて楽になりたい」と、ストレンジフルーツってたこともあります。
 ネクタイを紐代わりにして、洋服を吊っているところに結んでストレンジフルーツしていました。大抵は苦しくて途中で止めてしまうのですが、たまにベストポジションに入ると、段々頭がぼやーっとしてきて、気持ち良くなるんです。
 でも、結局は、生にしがみついて、これまで生きています。
 そのたびに私は絶望にうちひしがれ、「私は死ぬことすらできないのか。こんなに苦しいのに、まだ生きていることしかできないのか。先が見えない。明日、眠ったまま目が覚めなければいいのに」と何度思ったことか。

 でも、その時期を超えてしまうと、今度は「別にいいじゃん。住むところも食べ物もあるし、それだけで十分だよ。とりあえず、明日。いや、あと一週間は生きてみよう」と思い続けて数年経ちます。今では、良い薬の処方をしてもらい、また、当時の主治医と「もう絶対にしないって約束して」と言われたので、それは守っています。

 薬を飲んだらあら不思議。あんなにどんより曇っていた気分がすっきりとなくなって、「なーんだ、薬飲めば私、大丈夫じゃん」と思いました。
 そして今は、「あと数年は生きていたいなあ」と思うようになりました。

 不思議なものですね。あんなに死にたい死にたい思っていたのが、薬一つで嘘のようになくなりました。
 やっぱり、人間って脳で生きているんですねえ。ヘミシンクやスピリット界に降りるのも、脳波に反応があるっていいますし。
 でも、スピリット界(非物質界)に降りて、そこでシンクロする体験をしている人もいて、こればかりは脳波で計れないこともあるんですよねえ。
 不思議不思議。でも、本人が楽しいのならいいのです。悟りなんて開かなくてもいいや。浄土真宗っぽく、阿弥陀様が全部助けてくださるのなら、別にいいです。
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