罪人としての真理矢と私 | 魔法石の庭3rd

罪人としての真理矢と私

「姉様……」と、真理矢が覆い被さってきます。
 今夜は「真理矢の番」。いつもの愛を交わす部屋で、どちらともなく落ちあいます。
 真理矢と抱き合う時は、ほとんど部屋の電気は消しません。あまり恥ずかしくないのです。それと、現実で腰が抜けることもなく、ここもメローネとは違うのかなあと思います。

 真理矢の長い髪が、さらさらと私にも振りかかります。蛍光灯に透かして見ると、本当に金の光をまとった天使のようです。
 唇を寄せ合い、キスします。真理矢とのキスは、滅多に舌を入れたりしません。触れあうだけのキスを、ずーっとします。お互いの唇の柔らかさを確認しているようで、ちょっと恥ずかしいですね。

「姉様の胸、大きくて柔らかくて気持ちいい……」と真理矢が、胸を触ってきます。
 Cカップくらいだし、普通だとは思うんですけど。でも、真理矢がAカップなので、大きく見えるんだと思います。
 真理矢は私の胸を触るのが好きです。龍ってほ乳類じゃないので、胸が珍しいのでしょうか。「真理矢、真理矢のおっぱいも可愛い……」と言って、私も真理矢の胸を触ります。すくい上げるようにして下から。そして、乳首をいじめていると、真理矢がたまらないといったように抱きついてきます。

「姉様。今だけは、僕の姉様です」と言うと、真理矢からキス。その途中で、下の方にも手をやっていきます。

 女同士、感じるところはわかっています。
 私たちは、どこか競い合うようにそこに手をやり、刺激していきます。
 そこが潤ってくると、どちらからともなく指を入れ、中で動かします。

 男女の交わりとはまた違う、どこか禁忌を秘めた交わり。それが、女と女の甘い蜜でもあるのです。

「姉様、は、僕の、もの。僕、だけの、姉様!」と、真理矢が喘ぎの途中で言います。
 私たちは、この禁忌の関係に、すっかりおぼれています。今では「百合」とか「ビアン」とかが市民権を得ている時代ですが、私の神様である×××は、朝廷にレズビアンだったことをとがめられ、一部の神社を残して歴史の表舞台から消し去られてしまいました。
 ビアンということは、つい最近まで禁忌の関係だったのです。レズAVなどで、途中から男優乱入とかで「違う、そうじゃない」と思ったレズAV視聴者は多いでしょう。
 でも、それは監督側がレズAVを撮り慣れていないのでしょうね。「最後に男優入れとけば視聴者も共感するだろう」みたいな。そうじゃないんですよ。視聴者が見たいのは、女の子二人が絡み合うだけのシーンなんですよ。男は要らないの!

 真理矢が抱きつくと、長い髪が私の体に絡まって、その独占欲を現しているかのように思えます。
 私は、男であるメローネとも、女である真理矢とも関係を持つ立場ですが、最近、あまりにそれが牧歌的になっているので、そのことが世間一般では咎められることであるということを忘れそうになります。
 私は、既に罪人なのです。キリスト教の教皇ですら、同性愛を認めていない発言をしています(前のベネディクト教皇。それで、同性愛らしい女性が教皇につかみかかるという騒ぎがあった)。

 そうして、一緒に達しても、私たちは抱き合ったまま、荒い息を繰り返して、呼吸を整えます。
 私たちの場合、別にどちらが男役というのは決まっていないので、ビアンとしては微妙な感じなんでしょうかね。普通、ビアンというのは、性同一性障害を持っている人が多く、男役と女役がはっきりしているとも言います。しかし、真理矢の場合、元から男性っぽかったわけではなく、変態養父のせいで男嫌いになったといういきさつがあって、自分のことを「僕」と言い、つい最近までショートカットのままでした。

 今は、金髪の背中までのロングヘアになっています。これは、真理矢が自分のことを女であると容認した証なのです。

「……喉、渇きましたよね。お茶でも入れてきます」と、ぴったりとくっついていた真理矢が起きだして、服を身につけます。
 私と真理矢とのもう一つの禁忌。それは、「主従関係である」ということです。
 私と真理矢は、人間と式神の関係。式神は、主人の言うことには絶対であり、「自律するプログラム」でもあります。
 ですから、私はいつでも真理矢との関係を取り消せるのです。「もうこの関係は止めよう」と一言言えば、真理矢はそれに従います。しかし、私には言えないのです。私は、真理矢を愛してしまったから。

 私がふと、窓の外に気がつきます。
「……雪だ」と、私はつぶやき、窓辺に立ちます。「現実では降ってなかったのに」というと、真理矢が寄り添ってきて、「『迷い雪』といったところでしょうか」とつぶやきます。「それって、なにかの歌とか?」と聞くと、「いえ、僕の造語です」と言われ、「真理矢は詩人だねえ」と答えます。

 私と真理矢の関係も、この雪のように、ただの「迷い」なのでしょうか。溶けてしまえば水となる、それだけの関係なのでしょうか。
 答えはまだ、わかりません。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメント


管理者のみに表示